(207) 美しい回文1

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泡立つウンチが溜まる猿股が、沈鬱だわあ。
[あわだつうんちが たまるさるまたが ちんうつだわあ]

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「長いものが、必ずしも良いのではありません。一瞬の可笑しさが回文の真髄なのです」おばさんは始める。私はそのフレーズを何度も聞いている。「たとえば、盆栽サンボ、しぼめ梅干し、行かせろ世界、面倒なうどんめ、といったインパクトのある短いものが、かえって作るのも難しいのです」
森博嗣「ゲームの国(リリおばさんの事件簿1)」より


 いろいろ反響をいただきました(203)で、「自分なりの回文の良し悪しの基準が持てるようになった」と書きましたが、それについてもう少し丁寧に述べてみたいと思います。


 「沈鬱ウンチ」という回文は、おそらく多くの人が知っている(作ったことがある)ものと思われます。ウンチをひっくり返した瞬間にできてますからね。
 「沈鬱ウンチ」は、これはこれでもう完成された回文だと思います。インパクトも強いし。ただ、自分の美意識では、ちょっと惜しい点が二つあります。
 一つ目は、「意味がはっきりしない」ということです。「沈鬱ウンチ」というのは、ウンチが沈鬱さを感じているのだろうか? それとも、ウンチをするのが沈鬱なのだろうか? 「沈鬱ウンチ」からだけでは、判断ができません。必ず意味が確定されないといけない、と思っているわけではありませんが、できればそうなっていてほしいなあ、というのが自分の好みです。
 二つ目は、「語句の連関の度合い」、あるいは「論理性」です。「沈鬱」と「ウンチ」には論理的な連関が見出しにくい。読み手に関係づけを放り投げています。短歌とかの文学作品ならそれでもいいんですが、回文では、できるだけ語句につながりがあって、論理が感じられるのがいいなあ、と思っています。
 そういうわけで、「沈鬱ウンチ」から出発して、できるだけ自分が美しいと思えるような回文にしよう、と試行錯誤した結果、できた回文が
  泡立つウンチが溜まる猿股が、沈鬱だわあ。
だったのでした。意味の明晰さも論理性も、「沈鬱ウンチ」に比べて圧倒的によくなっていることは、納得していただけると思います。
 もちろんこの改作によって失われたものもあります。たとえば、リズムは悪くなっているし、インパクトは弱くなっているし、長くなって覚えにくくなっているし、などです。でも、それを差し引いても、意味も論理も美しくなっている点を、自分としては評価したいです。
 ここで、回文の長さは一切問題にしていません。長くても短くても、意味と論理が通じていれば良いのです。(202)は、とても短いけど、完璧な論理を有しているので、自分好みです。(204)は、長ったらしくなっているけど、やっぱり綺麗に論理が通っているので、とても気に入っています。


 まあ、これは今現在の自分の美意識なので、そのうち変わる可能性は大きいんですけどね。このブログを始めたころと今とを比べても、回文の採用基準がだいぶ違うし。
 それはともかく、あと2回ほど、同じような話題で記事を書こうと思っていますので、どうぞよろしくです。