(208) 美しい回文2

                    • -

糞拭きたい。手紙書いた。
「寄付ヲ即時待ツ マジ糞ヲ拭キタイ 紙ガ手痛キ不足」
[くそふきたい てがみかいた
 きふをそくじまつ まじくそをふきたい かみがていたきふそく]

                    • -

 前回の記事では、けっこう自信満々に「意味も論理も通ってるだろう!」みたいなことを書いてしまいましたが、「訳の分からない所が面白い」というコメントをいただいてしまったので、いろいろ猛省してます。謙虚に、真摯に、よりよい回文を目指す所存でございます……。

 今回のも、「意味も論理も通りますよね!」と書きたかったんですが、そんなことはないのかもしれん。作った本人にはまことに判断不能です。3割くらいの人にはちゃんと意味も論理も通じるんじゃないかと期待してます。くらいにしておきます。3割の人には、多少なりとも美しさが伝わっていると思いたい。

 さて、そんなわけで、7割の人には意味か論理が通じないかもしれないこの回文ですが、そのほかにもあまり気に入っていないところが2点あります。

 1つ目。「即時待ツ」が気持ち悪い。「即時」と「待つ」はつながらないですよね、普通。誤用ですよこれは。誤用だ誤用だ。まあ、意味は通じる……3割くらいの人には通じると願ってますが。意味が通じても、気持ち悪いものは気持ち悪い。

 2つ目。1つ目以上に嫌なのが、文章が細切れすぎる点です。これは、回文ではしばしば起こることでありまして、接続詞や格助詞などがあまり出てこず、小さいパーツのパッチワークみたいになってしまうのです。まさにそんな感じの標記の回文。

 (14)というたいそう昔の記事で、パッチワーク的になってしまうのを不自然に見せない手段として、会話体の回文がある、ということをちょっと書きました。このブログの会話回文の多さは歴然としておりますね。同様に、短歌の形式にする、というのも有効な手なのだと思います。短歌はそもそも5+7+5+7+7という細切れの形式ですからね。と、短歌回文をうまく作れたためしのない私が言うのもなんですが。

 今回の回文は、残念な細切れ感を醸し出しておりますが、その細切れ感を、「手紙」という形式を用いることで、若干カバーできているかなあ。……いや、そんなに成功してるとも思えませんですね。はい。