(107) 音ルールの謎5

ズラ、たったシとり、私だけ着けだした。(割と舌っ足らず)
[ずら たったしとり わたしだけつけだした わりとしたったらず]

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 上記の回文の話者は舌っ足らずだったので、「たったひとり」と言いたいところが「たったシとり」になってしまったわけです。江戸弁なんじゃないの、という気もしますが、回文内にちゃんと「舌っ足らず」と書いてあるから、それを信じましょう。舌っ足らずだと大抵サ行がうまく言えないもんなんじゃないかという疑問もあるわけですが、そのへんは気にしない方針です。舌っ足らずにも多分いろいろあります。

 問題は、
  ズラ、たったひとり、私だけ着けだした。(割と舌っ足らず)
が回文と見なせるか、ということで(たった『ひ』とり、のとこ注目)。これは文字の上では回文ではないけれど、舌っ足らずな人とか、江戸弁を話す人に声に出してもらうと、「たったひとり」が「たったシとり」と発話されることがあろうと推測されます。上記の文は、そういう状況を想定しておくことで、音ルールでの回文だと見なしうるのではないでしょうか。

 同様な例として、
  意外な被害
という文があります。これを、「h」音が発音できないフランス人に読んでもらうと、「いがいないがい」となって、音の上で回文になるんじゃあないだろうか、というわけです。無茶ですかね。でも「いがいないがい」はどう考えても回文だし。

 要するに何が言いたいかというと、ある文が音ルールで回文になっているかどうかは、その文がどう発音されると想定するかに依存するであろう、ということであります。まあそりゃそうだ、という気がしますよね。いやそんなことはない、と思われるか。どうでしょうか。

 ここで、前回とかに書いた「心理的な音」を持ち出すと、何が起こるでしょうか。混乱が増すだけかもしれないけど、考えてみます。「心理的な音」というのはなんだったかというと、「ナウいと言うな」は、実際の音声では逆読みしても同じにならないんだけど、我々の意識では逆読みして同じになるような気がしているわけで、そのとき意識されている仮想的な音のことを「心理的な音」と呼んだのでした。さっぱり分かりませんけどね。まあとにかく先に進みましょう。

 「たったひとり」と発音しようとして「たったシとり」になってしまう場合、実際の音としては「たったシとり」になっちゃってるわけですが、頭の中では「たったひとり」と発音しているつもりだろうと考えられます。従って、「心理的な音」の観点からは、
  ズラ、たったひとり、私だけ着けだした。(割と舌っ足らず)
が仮に「たったシとり」と発音されてしまっても、それは回文とは見なせない、と考えるべきであります。心理的には「たったひとり」ですからね。

 逆に言うと、「ひ」と「し」が発音し分けられない人が、自分で自分がちゃんと発音できていないことを自覚しており、だったらいっそのこと「ひ」も「し」も全部「し」と読んでしまえ、という方針を立てて毎日を暮らしているとすれば、頭の中でも「たったひとり」は「たったシとり」になっているから、「心理的な音」を持ち出してもその場合
  ズラ、たったひとり、私だけ着けだした。(割と舌っ足らず)
は回文になる、と考えられます。

 ……胡散臭いなあ。でも論理を首尾一貫させようと思ったらこうなりますよね。というようなどうでもいいことを日々考えている私です。


 延々と音ルールについて駄弁ってきましたが、文字ルールの方にも細かい話題が多々あります。たとえば、先述した「ある文が音ルールで回文になっているかどうかは、その文がどう発音されると想定するかに依存する」については、文字ルールにも似たような状況がありまして、「ある文が文字ルールで回文になっているかどうかは、その文を仮名書きするときの正書法に依存する」とか。あるいは、2つの文字が同じかどうかの基準をどう設定するか、とか。そのうちそういう話もするつもりですが、次回以降しばらくは、回文ルールいじりシリーズはお休みです。