(106) 音ルールの謎4

「見様」とゆう湯桶読み
 [みようとゆうゆとうよみ]

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 この回文ブログでは、「文字を逆さ読みする」ルールを一貫して採っているので、上記の回文ではどうしても「ゆう」と表記せねばならないわけです。しかし、「音を逆読みする」ルールを採るならば、もし「見様という湯桶読み」と書いてあっても、それは回文と見なされるべきなのであります。……本当ですか?


 前回は、一見回文だが音に注意を向けると回文とは見なせないかもしれない文の例をいろいろ挙げました。今回は、いかにすればそれらを音ルールの範疇で回文と見なしうるか、という話です。

 お手軽な解決方法として、「読みの強制」の適用があります(cf.(79))。すなわち、「その文が音ルールで回文となるからには、かく読まねばならない」と考えれば、およそすべてが解決できると思われます。たとえば、「ナウいと言うな」は、通常の読みでは回文になりませんが、これが回文となるんだとすれば、「言う」は「ゆー」と読まずに、文字通り「いう(iu)」と読まねばならないはずだ、と考えます。とりあえずそう読んでおけば、とても不自然ではあるけど意味はちゃんと通じるだろうし、何より逆さ読みが同じになって、細かいことを考えずに上手く立ち行ける、というわけです。

 でも、これはなんだか騙された感がありますよね。強引な解決方法に思えます。それに、通常の読みだと回文じゃあないけど、なる前置きがついている時点で、たいそう言い訳くさい方策です。別な策を考えたいところです。

 説得力のありそうな策がひとつあります。それは、音ルールの逆読みを、「仮名書きにしたときのそれぞれの仮名が表している『音韻』を逆から辿る」という意味に捉えるものです。

 ここで言語学の術語「音韻」について説明せねばなりません。(以下、浅学のため、誤ったことを書くやもしれないのでご注意下さい。) 音韻というのは、実際に発せられる物理的な音(音声)と対立する概念です。たとえば、前回述べた「有気音の『た』」と「無気音の『た』」は、音声としては別物です。しかし、我々の言語では、この2音は機能の上で区別されません。仮に、有気音の『た』をすべて無気音にして喋ったとしても、多少不自然に聞こえることはあれ、日本語としてまったく問題なく通じるはずです。このように、ある言語の機能の上で区別されない音声の集団をひと括りにして「音韻」と呼びます。有気音の『た』と無気音の『た』は、音声としては違うけれど、日本語の音韻としては同じものだ、と考えるわけです。

 「竹やぶ焼けた」の2つの『た』は、一方が有気音で一方が無気音を表していますから、音声を逆読みすると考えるとこれは回文になりません。しかし、どちらの『た』も同じ音韻に対応しているので、音韻を逆読みすると考えるとちゃんと回文になり、こちらの方が我々の実感とマッチしています。同様に、「軍師の寝具」も、音声を前回考察したところでは回文ではなかったんですが、2つの「ん」と「ぐ」はそれぞれ同じ音韻を定めているので、音韻で見ると回文だ、ということになり、めでたしめでたし、なのでした。

 じゃあ「ナウいと言うな」もこれで解決されるのだろうか。そんなことはなさそうです。「言うな」は「ゆーな」と読みますが、この場合の『ゆ』が実は『い』と同じ音韻を定めている、などという事実はないでしょう。「動くロボ『へぼへぼ6号』」は、「動く」の『う』音と、最後の『う』の表す長音が同じ音韻を定めているとは考えられず、というかそもそも、長音を単独で取り出してその音韻を議論すること自体に何やらとても怪しいものを感じます。「さっきの喫茶」に至っては、音のない『っ』部分の音韻を考えるとかそりゃ無理です。

 そこで前々回に書いた「心理的な音」を考えます。「ナウいと言うな」は、実際の音の上では「ゆーな」と読まれるけれど、我々の意識では、なんとなく「いうな」と発音しているような気になっているのではないでしょうか。その心理的な音を仮名単位で逆読みすると考えれば、「ナウいと言うな」は回文と言ってよいでしょう。「へぼへぼ6号」も、ほんとは「ろくごー」みたいに読んでいますが、改めて考えてみると「ろくごう」と発音しているような気になっていそうな気もして、ということはこれも「心理的な音」を見ると回文なのかもしれない。「さっきの喫茶」も、「っ」のところで音が出ていようとは誰も考えないし、やっぱり「心理的な音」の観点からは回文と言えそう。

 また、この「心理的な音」は、「音韻」の考えかたをある意味で含んでいるとも考えられます。「有気音の『た』」と「無気音の『た』」は心理的には同じ音だと考えられます。ほかの、同じ音韻を定める音の対でも同様です。したがって、「音韻逆読みルール」をもって回文となる文は、「心理的な音逆読みルール」をもっても回文である、ということになります。

 まとめると、「音ルール」というのは、回文を

  • その文を仮名書きしたときに、それぞれの仮名が表していると考えられる「心理的な音」を、順に辿ったのと逆さから辿ったのが同じになる文

と定義するルールである、と言えるのではないか。というわけですが、じゃあ「心理的な音」ってのは何なのか厳密に定義せよと言われると、それは現時点では無理です。なんだかこれも強引でご都合主義な解決策な気がするし。どなたかアイディアありませんか。


 なぜか次回も音ルールの話です。誰にも期待されていないと思いますが続きます。


※以前はここにアンビグラムがあったんですが、記事を独立させました。