(105) 音ルールの謎3

動くロボ「へぼへぼ6号」
 [うごくろぼへぼへぼろくごう]

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 「回文とは逆から読んでも『同音』となる文である」という「音ルール」について考えていました。前回最後にかいた「心理的な音」の話のつづきを書く予定でしたが、それは次回以降に回しまして、今回は、前回の「感謝した写真家」のように、普通に考えると回文っぽいけど、音ルールを厳格に適用するとどうも回文にならないんじゃあないか、という例をいくつか見てみます。いかにすればそれらを「音ルール」の枠組みの中で回文と見なせるか、というのを次回以降に扱います。

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 まず、
  軍師の寝具 [ぐんしのしんぐ]
という回文を考えます。どう考えてもこれは回文だろう、と皆さんお思いでしょうが、よく考えると、これは「逆から読んで同音」にはなりません。それは、一つ目の「ん」は/n/で発音するのに、二つ目の「ん」は/ng/で発音するからです。日本語の「ん」には実は三つの音があって、「軍師」だと/n/、「寝具」だと/ng/、「さんま」だと/m/で発音します。普段はその差には意識が向きませんが、これらを発音したときの口の内部および唇の形に注意すると、確かに違うことが納得されます。そういうわけで、「軍師の寝具」は文字ルールでの回文であって、音ルールでは回文にはなりません。同様に、「新聞紙」も、一つ目の「ん」は/m/で、二つ目の「ん」は/n/なので、これも音ルールでは回文になりません。……というのは本当ですか?

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 上記の
  軍師の寝具
は、別の観点からも「逆から読んで同音」になりません。それは、二つ目の「ぐ」が鼻濁音で発音され、一つ目はそうではないからです。これもやはり意識しないとよく分かりませんが、二つ目の「ぐ」は鼻に抜けると思います。従って、「軍師の寝具」はこの観点から見ても音ルールでは回文になりません。……というのは本当ですか?

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 ちょっと面白い例として、
  さっきの喫茶
があります。これも「逆から読んで同音」になりません。「っ」に問題があります。何を何を、「っ」は一拍分のポーズであるからして「さっきの喫茶」の2個の「っ」は当然どっちも無音なんだから、これでいいんじゃないか、と思われるかもしれませんが、それは間違いで、二つ目の「っ」には音が有ります。発音してみると、「s」音がちゃんと出ていることに気付かれるはずです。すると「さっきの喫茶」の逆読みは「さsきのき さ」となって、これは元と同じではありません。よって「さっきの喫茶」は音ルールでは回文になりません。……というのは本当ですか?

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 より衝撃的な事実として、
  竹やぶ焼けた。
は「逆から読んで同音」になりません。これは、一つ目の「た」が有気音なのに、二つ目の「た」は無気音であるためです。この違いは私には全然分からないんですが、物の本を見ると、「口の前にティッシュをおいて発音するとき、ティッシュが揺れるのが有気音」とか書いてあります。実践してみたけど、分かるような分からないような。でも違う音らしいです。中国語では有気音と無気音がちゃんと区別されるらしいので、お近くの中国の方にお尋ね下さい。そういうわけで、「竹やぶ焼けた」は音ルールでは回文になりません。……というのは本当ですか?

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 ちょっと話が細かくなりすぎたので、もっと素朴な例を。上記の
  動くロボ「へぼへぼ6号」
も「逆から読んで同音」にはなりません。なぜなら、普通「6号」は「ろくごー」と読まれるためです。「ろくごう」とウ音を発音するのは不自然で、どちらかといえば「ろくごお」の方が実際に近いですね。そういうわけで、これも音ルールでは回文にはなりません。……というのは本当ですか?

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 「動くロボ……」と似ていますが、
  「ナウい」と言うな。
というのもあります。「言うな」は普通「ゆーな」と読まれるはずです。長音を使わなければ「ゆうな」だろうけど、これでもやっぱり「い」と「ゆ」の差があって「逆から読んで同音」にはなっていません。こないだ読んだ本にも、

「言う」の丁寧な発音は[iu]であって、それをふだんは省略して[ju:]と言っているのだと考えている人もいるようであるが、これは表記にふりまわされたひとり合点である。(小松英雄『日本語の音韻』、中央公論新社)

と書いてありました。と国語学者の言を借りて権威づけてみる。

 この「言う」はいろいろと面白いです。たとえば、文化庁国語施策情報システムで読むことのできる、「現代仮名遣い」の内閣告示というのがあります。これは「一般の社会生活において現代の国語を書き表すための仮名遣いのよりどころ」を示したものです。本文の「第1」には原則が、「第2」には「表記の慣習による特例」が記されています。その「表記の慣習による特例」の方を見てみますと、ぢ・づの使い方、お行長音の例外(おおかみ、こおり……)、助詞の「は・を・へ」など、まあたしかに特例だなあ、というのに混じって、次の項目があります。

動詞の「いう(言)」は,「いう」と書く。

……これはものすごいですね。たった一つの動詞だけが特別扱いされる点がとても好きです。律儀ですねえ。普段は「言う」が例外だなんてことは意識しませんが、改めて考えると、確かに例外中の例外なんだということが身に沁みて分かります。

 話が長くなりましたが、そうゆうわけで、「ナウいと言うな」は音ルールでは回文にならないとゆうことが、深く考えてみると確かに分かるとゆう話でありました。……とゆうのは本当ですか?

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 もしこれらが回文でないとすれば、「逆から読んで同音」というのはあまりに厳しい制約だということになりそうです。もっと言うと、ある文が回文になっているかどうかを判別する方法がないようにも思えます。たとえば「よく聞くよ」は、自分には音ルールでもキッチリと回文になっているように思えるけど、実は何がしかの基準に照らすと、最初の「よ」と最後の「よ」は違う音なのかもしれない。それはどうやって判断すればいいんだろう。

 そういう泥沼を回避すべく、次回以降、上記の回文(?)たちを、音ルールの枠組みで回文と見なす方法を模索したいと思います。