(40) 限界を越えるには

「破棄しない? シラミの大管弦楽。肉眼限界だ!」
「ノミらしいな、指揮は」
 [はきしない しらみのだいかんげんがく にくがんげんかいだ
  のみらしいなしきは]

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 今回の回文は、テキトーに作った感ありあり。実は、次の段落以下の文章を先に書いて、それに「限界を超えるには」というタイトルをつけたあと、そのタイトルの「限界」から逆に回文を作り出す、という斬新な製作方法をとってみたのよ。しかしテキトーに作ったわりにはいー感じなんじゃないかと思うのは、作者の贔屓目であろうか。
(追記:この文章を書いて6時間くらい経ってから改めて眺めてみたら、これはひどい回文な気がしてきたぞ。自分の回文を客観視して評価するのは無理すぎる。)
(さらに追記:作って4ヶ月くらい経ってから眺めてみたところ、そこまでひどくもない気が。いい加減ですいません。)

 さて、以下が本題。
 この回文ブログを書き出して4か月半が経ちました。発表の場があると、モチベーションが上がってよいですね。回文に対して執念が出てくるというか。
 しかし、回文レベル向上のためには、単に発表しているだけでは今ひとつだなあと最近つくづく思っています。他の人と回文を忌憚なく批評・添削しあえるような場があるとすごくいいなあと。でも、ないんですよね。残念残念。人のを鑑賞してあれこれ考えつつ、自分のを適当な場所で発表、というのを繰り返しているだけだと、作れる回文に自ずと限界がある気がするんだけどなー。どうなんでしょうか。まあ、自分の回文センスに自信があれば、それでいいんでしょうけど。私は自信がありません。というか、まだ明らかに回文センスが身についていない。
 こないだ『短歌という爆弾―今すぐ歌人になりたいあなたのために』(穂村弘著、小学館)という本を読んで(歌人になりたいわけではないですよ。回文人にはなりたいけど(回文人て何?))、短歌には結社とか同人誌といった、批評などしあってお互いを高めあえる場があるのが何とも羨ましいなあと思ったのでした。回文には同人誌とかないですよね。(自分が知らないだけ?) 自ら行動していかないといけないかもしれんねえ。むう。