(39) 代打の拘泥

「代打して! 危機なの、来て!」 「…敵のな、利き手次第だ」
 [だいだして ききなの きて てきのな ききてしだいだ]

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以前紹介した回文ブログ『アイ氏とTさん』にて、先日
 大打者次第だ。
というとても魅力的な回文を発見しまして、それにヒントを得て作りました。それにしてもこのところ、回文を作るとことごとく会話体になるのは何なのか。

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以下脈絡なし。

●(35)に書いた回文
 ダチだ。もとい、友だちだ。
について。作ったときには全く意識してなかったんですが、「ダチだ。」だけでも回文なんですね。なぜ気づかなかったんだろう。そうするとこの回文は、「ダチだ。」という冒頭一文が既に回文で、それを訂正すべく付け足した「もとい、友だちだ。」を含めた全体がまた回文、という素敵な構造になっているのであったよ。なのでこの回文の表記は、その点をもう少しはっきりさせて、
 ダチだ。   ……もとい、友だちだ。
とするとか、あるいはkawahar氏(回文師)っぽい感じでカッコを使って
 ダチだ。 (もとい、友だちだ。)
とする方がいいかもしれません。とか変にギミックを使わない方がよいのかな。誰か教えて。

●(37)で、回文の緩和規則の例として「か」と「が」の同一視を挙げましたが、いろいろ考えているうちに、これは緩和規則と呼んでいいのか自信がなくなってきたので、というか、そもそも一般に「緩和規則」は定義不能な言葉ではないかとか悩みだしたので、あの発言は一旦撤回ということで。
 何の話をしているのか分からない方は、そのうち詳しく書くのをお待ち下さい。

●先日、「千と千尋の神隠し」が全編回文になってることに気づく、というもの凄い夢を見ました。果たして私は大丈夫なのでしょうか。