(89) 字数の偶奇

辞意、宣誓:
「退団だい!退団だい!退団だい!退団だい!退団だい!退団だい!……………………退団だい!退団だい!退団だい!退団だい!退団だい!退団!」
(大体1000,0000,0000,0000,0000,0000,0000,0000,0000,0000,0000字)
 [じい せんせい たいだんだいたいだんだいたいだんだいたいだんだいたいだんだいたいだんだい……………………たいだんだいたいだんだいたいだんだいたいだんだいたいだん だいたいせんせいじ]

                    • -

これで世界最長とか言ったらぶん殴られるであろう。アイディアの馬鹿馬鹿しさは気に入ってるので、どなたかもっと美しい感じに改作してくださったら嬉しいです。


 (82)で、「文末と終助詞」について書きました。長々と語っていましたが、要旨は「回文を作るうえで文頭と文末がいちばん不自由であるけれど、その不自由をカバーするために終助詞はとても便利なのです」ということでした。あれは結構力を入れて書いたんですが、内容が自明すぎたのか、その話自体よりも、話の枕にちらっと書いた「回文の中央の一字の自由さ」への反響が大きいという意外な展開に。

 その部分を要約すると、「回文を作るときにもっとも自由が利くのは中央の一字である、なぜならペアになる相方が存在しないから」という感じです。あのときは単なる話の取っ掛かりのつもりだったので、「回文をやっていると自然に分かることですが」などと逃げてしまったんですが、反響もあったことだし、もう少し丁寧に書いてみます。


 回文をいろいろ作ってくるなかで、中央の一字が比較的自由であることは前々から無意識には感じていたような気がしますが、自分の中でそれがはっきりと言語化されたのは、「偶数字の回文はなぜ少ないか」について考えたときです*1

 偶数字の回文が少ない理由として一つ思いつくのは、奇数字の方がリズム的に安定するから、という美的な理由。俳句・短歌を見ても、奇数字の方が日本語に馴染むのであろうと推測されます。「ダンス済んだ」より「ダンス休んだ」が魅力的に思われるのには、確かにリズムの安定感が関わっていそうですよね。

 ただ、リズムなどが無意味に思われる長めの散文的回文であってもやっぱり奇数字の方が多いので、リズムだけで全てを説明するのは困難です。回文の構造上の理由が何かあるはずだと思われます。

 奇数字の回文と偶数字の回文のどこに差があるかというと、中央の一字があるかないか、ですよね。実質的な差はそこだけです。奇数字の回文では、中央の一字が何かよい働きをしていて、そのぶん作りやすいのだと考えるのは自然です。

 理屈の上でもそうですし、実際に回文を作っていても、中央の一字の役割の重さをしばしば実感します。出来上がった回文だけを見れば、奇数字回文には中央の一字が存在し、偶数字回文ではそうでない、と結果的にそれだけの差に見えますが、回文を作る過程で、中央の一字は実質的に重要な役割を担っているように思います。次回は、回文作成の過程を具体的に見ながら、中央の一字が存在するありがたみを観察してみます。(と言いつつ、何もプランを考えてない。上手くいかなかったらすいません。)

 それではまた。

*1: 一応、「偶数字の回文は少ない」なる主張が私のでっち上げではないことを示すべく、過去の『罅ワレ回文』でメインに取り上げた回文のうち偶数字のものを数えてみたら、94個中12個でした。12.8%しかありません。……とか自分のブログからデータをとるのは胡散臭いですね。もしくはただ単に自分が偶数字の回文を作るの苦手なだけなんじゃないのとか。
 では外部からデータをということで、手許にある回文本『ダンスがすんだ』(フジモトマサル著、新潮社)で数えてみましたら、76個中10個でした。13.2%です。そういうわけで、自分以外にも偶数字の回文が苦手な方がいることが分かった……というだけなのかもしれないのでもっと広くデータを集める必要がありますが、大概の回文は奇数字である、というのはとりあえず認めてよさそうだ。ということにしましょう。