(174) 兵器と寝息

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兵器「大きい屁」
[へいき おおきいへ]

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 これは良い回文です。と思います。
 「寝息大きいね」という回文もあるんですが、こちらは普通の回文です。と思います。
 感性の問題でもありますが、回文を作ったことのあるかたは、「兵器」の方を推してくれるに違いない。と思います。


 「兵器」のほうは、意味の上では好き嫌いが分かれそうですが、回文の構造的には「寝息」よりもほぼ確実によいと思われます。なぜならば、「大きい」という単語から回文を作ろうとすると、終助詞「ね」を一つ足して「寝息大きいね」に収束させるのがいちばん自然なので、そういう点で「寝息」のほうが作りやすいからです。(回文と終助詞については、昔ここに書きました。)
 経験的に、「大きい」という単語に「屁」を足すという選択は思いつきにくい。これは改めて考えると不思議な気がしますが、少なくとも自分にとっては確かにそうです。実際、回文「兵器……」は、「大きい」から作り始めたのではありません。「屁」から作り始めたらこうなりました。
 なんだか、いつまでたっても単語のチョイスに依存するような回文しか作れてないということに、非力を感じますねえ。「大きい」から「兵器……」が作れるようになりたいものであります。


 少々話は飛びますが、構造的に優れている回文といえば、
  世の中ね、顔かお金かなのよ。
はまことに素晴らしいと思っている私。超有名回文ですが、これすごいよねえ。間投助詞とか、地味にかっこいい。自分には到底作れないような気がする。どうやって作ったんだろう。世間では、文意が評価されているんだと思いますが、回文として優れてるところもちゃんと評価したいですね。この回文って、そうそう誰にでも作れるものではないと思うので、元を辿るときっと一人の作者に行き着くと思ってるんだけど、いったい作者は誰なんだろう。

 愛読しております回文ブログ「回文ユンブイカ」さんのところの

ネット上の回文の話題がいつまでもいつまでもいつまでも、
「世の中ね、顔かお金かなのよ」スゲー、
なので腹が立って(嫉妬して)

という箇所にいたく共感したので、ちょっと書いてみました。