(104) 音ルールの謎2

読め、「ゃ」。 (ちっちゃめよ)
 [よめ ゃ ちっちゃめよ]

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 「回文とは、逆から読んでも同音となる文」という回文の定義(音ルール)が正確には何を意味するのか考えるという、ほとんどの方には問題意識がさっぱり分からないであろう話の続き。

 「感謝した写真家」を回文と見なしたいけれど、音節でも拍でも回文にならない。とすれば、音の逆読みってのはどういうことか? について、あれこれ悩んだ結果、次のように考えるべきなのだろうという結論に達しました。

  • 「逆から読む」とは、「その文を仮名書きにして、仮名単位で音を逆さから辿る」ということである。

つまり、「竹やぶ焼けた」の音を逆さから読むには、まずこれを「たけやぶやけた」と仮名に直し、その上で、仮名単位で逆さから音を読んでいきます。7字目の「た」の音、6字目の「け」の音、……、1字目の「た」の音、と読む、ということです。そうすると、これは「たけやぶやけた」を普通に読んだときと同音になるから、ああこれは回文だ、ということになります。

 あるいは、「苦は吐く」を考えると、仮名書きは「くははく」で、一見回文ですが、この文章では2字目の「は」と3字目の「は」の音が違うので、仮名単位で音を逆読みしても元と一致しません。従って「苦は吐く」は回文ではない、ということになります。

 音ルールとか言いつつ仮名書きにしないといけないのかよ、文字に依存しているじゃあないかまったく、と思われるかもしれませんが、音ルールというのは私が勝手に名づけたものでして、「文字ベース音ルール」とかなんとかそういう呼称にしたほうがよかったのかもしれません。でも面倒だから「音ルール」で通します。

 さてさて、仮名単位で音を逆読み、と考えると、困った例「感謝した写真家」は回文になるのでしょうか? 仮名書きすると「かんしゃしたしゃしんか」です。仮名単位で音を見てみましょう。まず文の最後の「か」は、普通に「か」と読むので、これは1字目の「か」の読みと同じだと思われます。OK。最後から2字目の「ん」も、頭から2字目の「ん」と同じ音っぽいです。OK。問題は次です。最後から3字目の「し」、つまり「写真家」の真ん中の「し」は、普通に「し」と読まれます。ところが、頭から3字目の「し」、つまり「感謝」の「し」は、「しゃ」の一部なので「し」とは読みません。というか、「しゃ」でひとかたまりなので、「し」は何の音も表していません。これは困った。「仮名単位で音を逆読み」って、この文章だとそんなことできないじゃん。次の「ゃ」も困ります。「ゃ」という字は単独では音を表さないので、最初の「ゃ」と最後の「ゃ」が同じ音か、というのはナンセンスな問いです。

 これだと、「感謝した写真家」はやっぱり音ルールでは回文とは見なせない、ということになってしまいそうです。どうしても文字ルール(仮名書きにして、(音は気にせず)その仮名の列を逆から辿る、というやつ)を持ち出さないと「感謝した写真家」は説明できそうにない。「苦は吐く」を、2つの「は」の音が違うから回文ではない、とするなら、「感謝した写真家」も、頭から3字目の「し」と最後から3字目の「し」の音が違うのでこれも回文ではない、とするのが一貫した姿勢であろう。やっぱり音ルールでは「感謝した写真家」は回文とすべきではないだろう。

 とか一瞬理屈を通したくなるんだけど、でも、「苦は吐く」は回文としないが「感謝した写真家」は回文とするという立場は、次のように考えれば、「仮名単位で音を逆読み」のルールで説明できる気がしないこともありません。それは、「しゃ」の音を、仮想的に「し」の音と「ゃ」の音が結合してできたものなんだと考える、というものです。「しゃ」の音の中には、実際は「し」の音は存在しませんが、「し」を最初に発音していると仮想的に考える。「ゃ」も、実際は単独では音を表さないが、仮想的に何らかの音を表していると見なす。で、「し」と「ゃ」がくっつくと、「しゃ」になる。というものです。そう考えると、「かんしゃしたしゃしんか」はちゃんと仮名単位で音を逆に辿っても同じになって、めでたく回文になります。

 ……仮想的に「しゃ」を2音に分解する、というのは正直言って無茶ですが、でも、案外多くの人が、理性的にはともかく、無意識に頭のどこかで、「しゃ」の音は「し」と「ゃ」の音から成っている、と思っているような気がします。気がします、というだけですけど。みなさんどうですか。「ゃ」には音なんてないけど、たとえば「ぺゃ」とか、ありえない仮名の連なりを見せられても、なぜかそれっぽい読み方を作り上げてしまう。のは、「ゃ」に何がしかの音があるとどこかで思っているからではないだろうか。その「仮想的な音」、「心理的な音」を、仮名単位で逆読みする、というのが、音を逆読みする、ということなのではないかなあ。こう考えれば、「苦は吐く」を回文とせず、「感謝した写真家」を回文とする立場を一言で説明できそうだ。めでたしめでたし。

 としたいのですが、その「心理的な音」というのが要するに何なのか、私にはよく分かりません。だれか教えてください。「しゃ」の音が「し」+「ゃ」になるようなうまい仕掛けはありませんか。

 次回はこの「心理的な音」の話の続き。要するに何なのか分かってないのに続きます。


※以前はここにアンビグラムがあったんですが、記事を独立させました。