(103) 音ルールの謎

車輪三個、三輪車。

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 前からの続きで、回文には「文字ルール」と「音ルール」とあるけど、その音ルールについて考えてみよう、という話。


 回文は「逆読みしても【同音】となる文」だ、と認識してる方はおそらくそれなりに多いと思うのですが、改めて考えると、「音を逆読みする」ってのはどういうことなのか、「音が同じ」とは何なのか、という問題に直面します。それをちょっと考察しようかいな、というのが今回以降のテーマです。今回は、「音を逆読みする」の方を。

 例として「竹やぶ焼けた」の音を逆読みすることを考えます。この音を、完全に母音と子音でばらして(言語学ではたぶん「音素」に分解する、とか言うはずですが)「t-a-k-e-y-a-b-u-y-a-k-e-t-a」とすると、逆読みは「あてかゆばいぇかt」となりまして、そうか同じにならないから「竹やぶ焼けた」は回文じゃなかったのかー、となどと考える人はいないですよね。回文で「音を逆読み」と言った場合は、母音と子音をばらして考えてはいけないようです。では何を逆から読むのでしょうか?

 よくある説明は、「音節の逆読み」です。たとえばwikipediaの「回文」の項を見ると、

回文(かいぶん)とは、始めから(通常通り)読んだ場合と終わりから(通常と逆に)読んだ場合とで文字や音節の出現する順番が変わらず、なおかつ、言語としてある程度意味が通る文字列のこと

となっていて、「音節」と書いてあります。たしかに、「竹やぶ焼けた」は音節にばらすと「た-け-や-ぶ-や-け-た」となり、音節の逆読みは同じになるので、回文で言う「音の逆読み」は「音節の逆読み」のことだと考えてよさそうな気が一瞬します。

 ところがです。音節とは何か。それは母音を中心とする音の集まりでありますから、たとえば「ん」音は単独では音節をなしません。再度wikipediaで恐縮ですが、「」の項を見ますと、

この音は……通常は子音であり、かつ、直前に母音を伴うため、単独では音節を構成せず、直前の母音と共に音節を構成する。

と書いてあります。これによると、「新聞紙」は音節にばらすと「しん-ぶん-し」となり、音節の逆読みは「しぶんしん」です。よって「音節逆読みルール」では「新聞紙」は回文ではありません。代わって「産婆さん(さんばさん)」とかが回文になりますね。

 この「音節逆読みルール」は、なかなか理にかなってると思うんですが、「新聞紙」を回文と見なさない人には出会ったことがないので、おそらくこのルールを採用している人はいないでしょう。何かもっと現実に即したルールがあるはずです。

 次に思いつくのは「拍の逆読み」です。日本語には「拍(モーラ)」という概念があって、たとえば「竹やぶ焼けた」は7拍、「はてなダイアリー」は8拍です。「新聞紙」は3音節ですが拍で数えると「し-ん-ぶ-ん-し」の5拍となります。これらを見ると、「拍を逆読みする」というのが回文でいう「音の逆読み」にぴったり合うのではないかと思いたくなります。

 ところがです。たとえば「感謝した写真家」という文を考えます。仮名書きすると「かんしゃしたしゃしんか」だから、ほとんどの方がこれを回文だと見なすと思いますが、これは拍にばらすと「か-ん-しゃ-し-た-しゃ-し-ん-か」となり、逆読みは「かんししゃたししゃんか」となりまして、「拍逆読みルール」ではこれは回文になりません。代わって「東京都(とうきょうと)」とかが回文になります。

 「拍逆読み」は、「音の逆読み」という感覚にすごくよく合っていると自分では思うので、このルールを採用して回文を作る方がいていいんじゃないかと思うんですが、浅学のためかそういう方を知りません。小学生のころ、友だちに「東京都って逆さから読んでも同じだね!」と自分の大発見を自慢げに話したら、「『とうよきうと』じゃんか」みたいに言われてそれはショックでしたヨ全く。でも、その友だちのように考える方は多いんじゃないでしょうか。「苦は吐く」を回文としない音寄りの立場の人でも、「感謝した写真家」を回文と見なし、「東京都」は回文とはしていないように思います。

 じゃあ「音を逆読み」って何を逆読みにしているんでしょうか? ということについて次回考えようと思います。


 あ、冒頭の漢字回文は、「音節逆読みルールで回文」という例でもありました。「しゃ-りん-さん-こ-さん-りん-しゃ」。ていうか、「車輪二個、二輪車」とか「車輪二千二万二千二個、二千二万二千二輪車」とか何でもいいような気が。


※以前はここにアンビグラムがあったんですが、記事を独立させました。