(82) 文末と終助詞

象が小さい? 違うぞ!
 [ぞうがちいさい ちがうぞ]

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 小ネタですが。こんなんでもそれなりによい出来だと思っている自分ですが。


 前回、回文のルールに関して(85)あたりから書くとかなんとか言いましたが、別にやるべきことを思い出したので、予定は先延ばしになりました。(結局こうなるのであるなあ。)


 回文をやっていると自然に分かることですが、回文を作るときにいちばん自由が利くのは「中央の一字」です。「たけやぶやけた」の「ぶ」です。中央以外の文字には、反対側に対応する同じ文字がなくてはならないという制約がありますが、中央だけは例外で、自由度が高い、というわけです。(そのため、中央の一字が存在しない「偶数字の回文」は数が少ない。)

 反対にもっとも自由が利かないのは、文頭・文末です。文頭はそこからちょうど言葉が始まらねばならず、文末はそこでちょうど言葉が終わらねばなりません。(当たり前ですが。) 他の位置では、ある文字列を適当な方向に伸ばして意味が通る言葉にすればOKですが、文頭・文末では一方が行き止まりなのです。その文頭・文末が回文の逆さ読みで対応する位置にあるのですから、これはなかなかきついのです。

 文頭・文末のそんな困難を解消する手段として一般的なのが、「よ」「さ」「わ」などの「終助詞」を文末に置く、という技術です。(なんか大袈裟だな……。) 終助詞は短いし、たいていの文章にくっつくし、たいてい文章の大意を崩さないので、とても便利なパーツです。文末の困難を乗り越えるのに最適と言えます。例えば、「靴」で回文を作ろうとして
  る靴を作る
なる形に行き着いたとしますと、「る」が余っているのでこれを処理せねばなりませんが、「よ」を付加して
  夜、靴を作るよ。
とすればこれで完成です。簡単だなあ。

 しかし、終助詞は便利すぎてだいぶ氾濫しているので、使うだけでベタな雰囲気になってしまう場合があります。余った「る」の処理に「夜……るよ」とするのは典型で、その他「昼……る日」「私……したわ」「良い……いよ」とかね。この形が現れているだけで、ああ辻褄あわせですね、と白い眼で見られること必至……というほどではありませんが、避けられるなら避けたい形です。

 で、何が言いたいかというと、「象……うぞ」はベタではないのだ、ということではなく、むしろたまに見るパターンですが(「罅ワレ」でも2回目だしね……)、次回からしばらく終助詞をネタにしたいので、今回その前フリをしておいた次第です。


※以前はここにアンビグラムがあったんですが、記事を独立させました。