(102) 母はワハハ
「母わ『ダハハハ』か『ワハハ』と笑い、オイラわ『テヘヘヘ』て笑い、……」
「『オイラ【わ】』と『母【わ】』か! 『母【は】』だ! ワハハ!」
[ははわだはははかわははとわらいおいらわてへへへてわらい
おいらわとははわかはははだわはは]
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前回、回文のルール「上から読んでも下から読んでも同じ」には大雑把に言って
- 文字列を逆から辿っても同じになる
- 音を逆から辿っても同じになる
という2通りの解釈があると書きました。前者を文字ルール、後者を音ルールと勝手に呼ぶことにしました。このブログは文字ルールの回文で統一しています。などと書くと、回文には「文字ルール派」と「音ルール派」の2派があるのかそうかそうか、と思われてしまいそうですが、そんなに綺麗に分かれているわけではありません。人によっては、2つのルールをごたまぜに適用したりします。数学風に、2つのルールの適用の仕方を分類すれば、
- (音ルールは気にせず)文字ルールを満たせば回文
- (文字ルールは気にせず)音ルールを満たせば回文
- 文字ルールと音ルールいずれかを満たせば回文
- 文字ルールか音ルールを同時に満たせば回文
の4パターンがあるはずです。それぞれについて少し解説。
1は純粋な文字ルールと言える立場で、このブログがそうです。たとえば「苦は吐く」は音としては「くわはく」だから回文じゃないっぽいけど、文字の上では「くははく」だからOKにします、というものです。
2は、「苦は湧く」は文字の上では「くはわく」で回文じゃないっぽいけど、音では「くわわく」だからいいよね、というものです。理屈の上ではこういうルール適用法はアリだと思いますが、なぜかこのように純粋に音ルールだけを気にして作ってる人はいない気がします。知ってる人いたら教えて。
3は、「苦は吐く」も「苦は湧く」も回文とする立場です。あるいは、
苦は湧く。ぼくは吐く。
というのも回文と見なしたりします。仮名書きにすると「くはわくぼくははく」となり、最初から2字目の「は」と最後から2字目の「は」は音が違うけど「文字が同じ」なのでOK、最初から3字目の「わ」と最後から3字目の「は」は文字が違うけど「音が同じ」なのでOK、ということで。「これは回文、なぜならここは文字が同じだから、ここは音が同じだから」というのは少々ご都合主義な気もしますが、理屈は通ってるので、こういうのもありだと思います。
4は、「苦は吐く」も「苦は湧く」もいずれも回文とは認めない、という立場です。「苦は吐く」は音の上でおかしい、「苦は湧く」は文字の上でおかしい、というわけです。非常に厳格なルール適用でとても作りにくいはずですが、最大公約数的な立場になっているので、この立場の回文は「誰が見ても回文だと認める」という強力なメリットがあります。
と分類してみたけど、だから何ということはありません。なんとなく分類したくなっただけです。
ところで、
- 音を逆から辿っても同じになる
が音ルール、と書きましたが、「音を逆から辿る」とか「音が同じ」ってのはどういう意味なのか、というのは考察を要する問題です。いろいろな混沌がここに潜んでいるように思われますが、それについては次回以降に。
※以前はここにアンビグラムがあったんですが、記事を独立させました。